多くの有名人が眠る霊園・墓地

多磨霊園に眠る有名人

多くの有名人が眠る霊園・墓地 class=
多磨霊園とは北多摩郡多磨村にある日本初の公園墓地です。
有名人も詩人から政治家、官僚などさまざまな方のお墓があり、その理由としては関東大震災の直前に開園され、都市霊園では最大の広さである128万平方メートル・約東京ドーム27個分であり被葬者の絶対数が多いことから有名人の墓地も多くなっています。
1963年以降は、新規区画がなくなり、現在では改葬整理などで空いた場所のみの使用募集となっているため1963年以前の著名人が多いです。
多磨霊園は、公園墓地ならではの芝生や緑地などが残っており桜の名所としても知られています。園内の桜の木は実に1600本といわれ、樹齢80年以上のソメイヨシノは、府中の名木百選にも選ばれているほどです。さらに夜間には部分的にライトアップされ、春になると花見客もきます。著名人の墓めぐりをしようと思っている方は、かなり敷地が広いので園内マップを用意していたほうが迷わず効率的にお墓めぐりができるでしょう。

横浜外国人墓地に眠る有名人

神奈川県横浜市には、4ヵ所外国人墓地が存在し、横浜外国人墓地では19世紀から20世紀半ばにかけて約40ヶ国、4400人あまりの外国人が埋葬されています。有名な黒船のペリーがなくなった水兵を埋葬するために江戸幕府に海の見えるところに墓地を作るよう要求したことがきっかけでした。
薩英戦争の原因となった生麦事件の犠牲者である上海のイギリス人商人のチャールス・リチャードソン、鎌倉事件の被害者であるボールドウィン少佐とバード中尉など現代の歴史にも残っている有名人が眠っています。
通常一般公開はされておらず資料館のみ入ることができますが、3月から12月の土曜・日曜・祭日の12時から16時までは晴れの日限定で一般公開されています。入場する際には募金が必要なので200円から300円は持っていきましょう。敷地はよく整備されています。墓石には埋葬されている人の国によって特徴があり、時代や国を超えたお墓が集まっているといえます。

染井霊園に眠る有名人

東京都豊島区駒込にある都営霊園である染井霊園(旧称:染井墓地)には、歴史を作ったさまざまな有名人が眠っています。
染井霊園は1872年に明治政府によって、播州林田藩建部邸跡地に神葬墓地として開設された霊園です。このような時代に作られた墓地であり都市計画公園事業の実施に備えるため、昭和37年6月以降の空き墓地の貸付は行っておらず、明治から昭和までの時代を作った有名人が多く眠っています。霊園の付近に幹線道路が無く、非常に静寂な地となっています。
8ヶ所ある都市霊園としてはもっとも規模が小さく面積は、67.911平方メートルです。平坦な地に桜の古木ソメイヨシノが約100本植えられており、遊歩道の一部が桜並木となっていて桜の名所としても有名になっています。
園内を散策する場合には、染井例案内地図が染井霊園事務所にありますので、そちらを利用すると効率よく散策することが可能です。

青山霊園に眠る有名人

東京都港区南青山二丁目にある青山霊園は、1874年(明治9年)に開園されており、広さは約26万平方メートルであり、日本で初めての公営墓地にもなっています。
墓地には、明治維新の功労者や文豪・科学者などの有名人や、近代日本の偉人である第2次内閣総理大臣にも選ばれた黒田清隆、五・一五事件で有名な大29回総理大臣犬養毅などの有名人のお墓もあり、現代の歌舞伎役者なども多く眠っています。
園内には一般車が走る道路もあり、春にはお花見客でにぎわっています。緑豊かで美しく整備された東京らしい面持ちの霊園になっており、散策する場合にも案内板がありますので地図は必要ないでしょう。複雑な地形ではないので安心して散策することができます。
忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎の墓の周りには、花やメッセージカードが絶えず添えられかなりの人気を誇っています。

この記事を書いた人

株式会社日比谷花壇 
フューネラルプロデューサー
金澤 和央(カナザワ カズオ)
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