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灌仏会(かんぶつえ)=通称・花まつりは、仏教の開祖であるお釈迦さまの生誕をお祝いする行事です。
日本では主に毎年4月8日にお祝いされます。日本のように中国から仏教が伝来した国では、お釈迦さまは4月8日に生まれたとされています。典拠は不明ですが、世界各地でそう言い伝えられています。日本では新暦(グレゴリオ暦)の4月8日にお祝いされ、一部の地域では旧暦の5月8日に行事を行うようです。
各地の寺院で、お釈迦さまの誕生を祝う行事が行われます。花で飾り付けた小さなお堂「花御堂」にまつられた小さな仏像に甘茶をそそいで、お釈迦さまの誕生をお祝いします。また、人々の無病息災を願い、お釈迦さまに感謝する気持ちを込めて甘茶がふるまわれたり、稚児行列が行われたりします。
花まつりはお釈迦さまの誕生伝説がもとになっている行事です。
お釈迦さまは母親(マーヤー)の右わき腹から生まれ、7歩あるいて、右手を上に、左手を下に向け「天上天下唯我独尊」と言いました。お釈迦さまがうまれたのは「ルンビニ」という花畑でした。お釈迦さまの誕生を祝って、花畑の花が咲き乱れ、天の恵みの雨が降り注いだといわれています。(諸説あります。)
お釈迦さまが生まれた時に言った「天上天下唯我独尊」というのは、「私よりも尊いものはない」という意味です。この時の「私」とは、お釈迦さま自身のことではなく、この世に存在する「すべての私」を意味しています。お釈迦さま自身だけが尊いという意味ではなく、一人一人がひとつの命として尊いのだというお釈迦さまの大切な教えです。
「灌仏会」の歴史は古く、日本書紀によると推古14年(606年)に盂蘭盆会(お盆)とともに仏教の年中行事のひとつとして始まったようです。平安時代に入り「灌仏会」として執り行われるようになりました。
「花まつり」という名前で定着したのはグレゴリオ暦が導入された明治時代以降です。1916年(大正5年)には、仏教者の連合が日比谷公園にて「花祭り」という名前で行事を行ったとされています。それが現在の「花まつり」のもととなった、最初の大きな行事で、当時は多くの人が集まったという記録も残っています。
花まつりでは、お釈迦さまの生誕をお祝いして、花御堂に甘茶を注ぎます。花御堂とは、たくさんの花で装飾した小さなお堂のことです。お釈迦さまが生まれたルンビニの花畑を模して、たくさんのお花で飾り付けます。そのお堂の中に、甘茶で満たした桶をおいて、そこに仏像をお祀りします。この仏像は「誕生仏」といわれるもので、お釈迦さまが生まれたときのように、右手を上にあげて左手を下に向けたポーズをしています。花御堂で、お釈迦さまが生まれた瞬間を表現するのです。
そこに、甘露の雨(天の恵みの雨)を模した甘茶をそそぎます。甘茶とは、ユキノシタ科の植物であるアマチャの木から作られるお茶のことで、少し甘みがあるそうです。甘茶は生薬としても知られており、人々の無病息災を願って寺院で甘茶がふるまわれることもあります。
地域によっては、稚児行列を行うこともあります。子どもたちが平安装束をモチーフにした衣装に身を包み、白い象を模した置物を引いて街を練り歩きます。お釈迦さまの生誕を祝い、お釈迦さまの教えに感謝し、人々の無病息災を願います。白い象は、お釈迦さまが生まれる前に母親であるマーヤーが見た夢に登場した象を表現しています。象は神聖な動物とされていたので、マーヤーとその家族は、夢に象が現れたことを大変喜んだそうです。
現代になって、花まつりにちなみ、各地ではイベントが開催されるようになりました。寺院全体がお花の装飾でいっぱいになったり、ワークショップなどのイベント、法話や落語なども行われているようです。
仏教を信仰していなくても、仏教の教えと日本の文化は切っても切れない関係です、お釈迦さまの大切な教えである「ひとりひとりの命は絶対的に大切で尊いものである」こと、「お互いを尊重しあうことの大切さ」を思い出す一日にしたいものです。ぜひ、近くの寺院に足を運んでみてください。
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